柔道体罰問題のその後

選手側弁護士が会見したようですね。
監督辞任だけで尻拭いを終えたようにみせる協会に対し「失望と怒り」を感じているようだ。
実にアッパレ!
会社組織でも同じだが、仕方ない と妥協してしまったら終わり。
この手の問題はしつこく、兎に角しつこくいくしかないのだ。

またこの会見とは別に、スポーツ評論家の金子氏が
「そもそも柔道は武道であり、スポーツとしてひと括りにして良いのか?」という問題提起をしていた。もっともな指摘である。
実は私自身も"自称"スポーツマン(元?)だが、真の意味でのスポーツは陸上競技しかないと思っていて陸上をやった人間である。(強いて言えば水泳もスポーツ)
より速く(時間)、より高く(高さ)、より遠く(距離)という普遍的な判りやすいゴールだからだ。
もっとも風速や天候、標高といった二次的な要因は確かに存在するが、他の競技に比べれば実にシンプルだ。
それに比べその他の競技はほとんど「対戦相手」が存在し、早い話が「ゲーム」である。
難しいルールや道具が介在し「誰が一番か?」を競うにはアンフェアな部分が多数存在する。
単に勝負でなくとも「記録」に挑戦する。あるいは「ランキング何位か」を確認するモティベーションが陸上ほど単純でない。
単純でないところには必ず思惑やダーティな部分が見え隠れする。

さて柔道だが金子氏も言っているが武道というものは本来、相手に何がしかのダメージを与えることが正であり格闘技(技という字が何を意味するかも微妙だが)である。相手の身体にコンタクトすることが前提である。
指導者は当然相手のコンタクトの仕方を指導するわけで、そのときに暴力的ともいえる言動や指導が存在するであろう事は容易に想像できる。人の手や身体を引っ張ったり押したりして指導するのだから。その指導がどこまでが許されるのかどこからが行き過ぎなのかは所詮判らない。
もちろん言葉の暴力というのもある。格闘技において強い精神力が必要なのは異論がないので、厳しい言葉が浴びせられるのもこれまた当然の摂理といえる。このような競技を他の競技と同様の価値観で語ることがそもそもナンセンスなのかもしれない。

私の結論
柔道だの剣道だの空手、ボクシング等のいわゆる格闘技をオリンピック競技から外しましょう。
で強くなりたい奴は自分達で指導法を探すんですな。。。
体罰?暴力?OKな人はその道で学べばよい。嫌な人はそれが無い道で学べばよい。
そしてどこかの大会で雌雄を決すれば良いだけである。
美しい競技として美化しようとするから無理があるのだ。ダーティで良いとは云わないが、そもそも論でいえば格闘技とはそういう哲学の競技だと思うから。。。

皆さん、所詮ゲームですよ!
広い意味ではパチンコやトランプゲーム、マージャンと同じなんですよ。
有名校に入りたいだの有名指導者に付きたいだの「行き過ぎた指導」等と目くじらたてて云うのは「はなからおかしい事」だといい加減気付きましょう。