蝉しぐれ

23日に書いた「蝉しぐれ」について

何気にネットで蝉しぐれをググッていたら
色々と面白いことをみつけたので追加を。。。

まず俺が知らなかったことだが
NHKのドラマシリーズが先に出来て(2003年8月〜10月放送)
映画が後(2005年10月封切り)だったってこと。

更にはドラマの脚本を書いた黒土三男が
「ドラマで描ききれなかった部分を映画で」と映画の監督をしてた
という話。
時系列にみてドラマを取ってすぐに(というよりほぼ同時に!?)
映画に取り掛かったと思われる。
何でも山形のオープンセットは撮影でリアルさを出すために1年間寝かせた 
という事だから
2003年中に仕掛けていたのは間違いないはずだから。

この事実も良く考えるとすごいことだと思う。

で、ネットで面白かったのは
①TVドラマが良かったか、映画の方が良かったか?
②文四郎&ふくは「内野聖陽&水野真紀」vs「市川染五郎&木村佳乃」のどっちが良かったか
の議論が結構戦わされていたこと。

ネットを見た限りではTVドラマの方に票が多かったようだが
俺的には映画を推す人は「ネットにコメントを残すような性格ではない」
とも読めるような気がする。
内野&水野組の方が当りで市川&木村組はきれい過ぎる との評論多かった。

実質的に同じ監督が同じ話を、ほぼ同時期に撮ったわけだから
監督が意図したことが的確に表現されていると思って良いだろう。
これほど恵まれた環境で撮れる黒土氏も幸運だとおもう。

さて自分の感想だが、結論から云って、どちらも一長一短
不満部分(=反対側のよいところ)
【TVドラマ版】
・屍を乗せた大八車が坂を上れないところをふくが手助けする名場面
 大人役の2人が演じている(映画版では子役)
 ここは最重要なシーンなので子役にやらせた方が回想シーンで光るはず
・同じくふくが大八車を援助するところ
 ドラマでは文四郎と隣り合って引き手部分を引っ張っている。
 映画版では大八車の後ろに回り、必死に押している。
 どちらが自然かと云えば映画版だろう。
 文四郎の顔も見られないほど恥ずかしかったはずだから体に触れるほどの
 至近距離で助けるのは違和感あり。
 無念さ、必死さも後ろから押す方が伝わった。
・檜御殿からふくと赤子を助け出し船で脱出するシーン
 船頭の機転だけで難なく通れたようにみえる。
 ドラマでは充分時間枠があったはずなので応援部隊との関係をみたかった。
 原作はドラマに近いようだが、映画ではここも見せ場のひとつだったので
 後でドラマをみた俺なんかは「アレ!?」という物足りなさ感あり
・最後のラストシーン
 文四郎が馬を乗って海岸を走り去る って、どうなんでしょう?
 ふくとの面談・別離シーンはドラマの方が良かっただけに
 最後はもうひとつ・・・
・これは(多分)演出上の意図なので好き嫌いの問題だと思うが
 水野真紀の「ふく」は「おふく様」らしく凛として欲しかった。
 ある人の意見ではわざとある程度野暮ったくしたのであって
 映画の木村がきれい過ぎ とのコメントあり、
 一理あるとは思うが水野はふくよか過ぎて(デブとは云わないが)
 貫禄と所作には気品があるのに逆にちょっとおどおどした感に違和感あり。
 実在したとするなら水野版に近いのだろうが、作品としてはどうか?

【映画版】(観たのが5年以上前なので記憶が定かでないのだが・・・)
・何といっても文四郎とおふくの再会シーン
 原作では結ばれた内容になっている(はず)が映画では曖昧にしてある。
 つまりは最後まで結ばれなかった設定と思われる。
 (下世話風にいえばエ●チしたか、しなかったか?だが)
 ここはやはり結ばれた方がすっきりする。
・同様にドラマ版では結ばれる段取りとしてふくがお酒を飲むシーンが
 何度も出てくる。酒の力を借りなければ出来なかったであろうことを
 想像するところに切なさが出るわけで。。。
 映画ではここの印象が薄く、やはり結ばれなかったことにしたいのかもね。
 映画を後で撮ってることからして監督はドラマよりきれいな純愛物語
 にしたかったのかも。
 だとすると天下のNHKドラマでエ●チさせておいて、
 自由に撮れる映画で純愛ものにしちゃったという監督もすごいかも・・・
・矢田淑江の扱いが薄すぎ
 この物語の重要な部分である「年上女性へのほのかな恋心」が
 すっ飛んでいるのはマイナス点。
 時間が足りなかったのかもしれないがドラマではしっかり表現されていた分
 極めて残念でならない。

総合点では。。。。
俺は映画の方が良かったかな・・・

蛇足だが、水野真紀は2004年に某イケメン政治家と結婚している。
よってこのドラマは独身最後と云ってよい作品であり
イケメン政治家と盛り上がっていた時期に撮影されたかと思うと
文四郎との濡れ場(という表現は不適切かも知れんが)は
着物の裾をさっと気にするところ、それが乱れるところなんぞ
確かに生唾ものであった。


いずれにしても
「今生に残るいささかの未練」を断ち切るために
文四郎への再会をダメモトで申し込み
それが叶ったふくが
最後の最後に体を開くかどうか?(開くべきかどうか?)
というのは議論の分かれるところと思う。

映画を先に観た自分としては
最後まで「文四郎に対する操」を守ったまま髪を下ろす
って所に美意識をもったのだったが
ドラマ版で結ばれたのをみて
「これもありか・・・」と再認識。

原作をまだ読まずに云々するのは非常識であるが
文中には文四郎が「ふくの白い胸を見なければよかった」と
後悔している内容の記述があるとか。
ん〜。。。やっぱりやったってことか・・・


藤沢周平の感性は大好きである。

ちなみに藤沢は8歳年下の妻を彼女が28歳のときに亡くしている。
その後ペンネームを藤沢周平とするわけだが
藤沢は彼女の生まれ故郷の名前
周の字も彼女の親族の名前だそうだ。

何とも彼らしい、頑固なまでのひたむきさが感じられる。

彼と同じ山形県生まれであることを誇りに思う