ふるさとは遠きにありて・・・

日本の大雪で甚大な被害が出ているとの報道。
特に北海道で一人娘をかばう為に自分が覆いかぶさって犠牲となり娘を助けたお父さん。
車の中でお父さんと子供3人が一酸化炭素中毒で亡くなった事故。
どれも胸が痛みます。

雪国出身の私も地吹雪の恐ろしさは知っています。目の前数メートルしか見えない恐怖感とともに平衡感覚がおかしくなり気持ち悪くなる恐怖が自乗、三乗に効いてきます。じっとしているべきか、助けを求めに動くべきか、究極の選択を迫られたものと想像すると、余計に切なくなります。

これらのニュースを観て思ったこと。前から思っていたことだけど、日本人は「そうまでして」つまり命の危険リスクを分っていながらふるさとを捨てられない理由はどこに有るのか?ということ。
東北大震災でもあんな被害にあっても「ふるさとに帰りたい」という。帰りたい気持ちは勿論判る。でもあんな目にあってもなお、戻りたい、居座りたいという気持ちの根源はなんだろう。。。
日本は平和で暮らしやすい国。都道府県で多少の文化や気性の差は有るとはいえ日本語は通じるし食べ物も流通しており生活するには困らないはず。その場所にとどまることで圧倒的なメリットがあるとは思えないのに、なぜ。。。
アメリカでもHome townは大事にしている。自分のふるさとは○○と皆言う。でもほとんどの人がこだわりはもっていないようだ。「家」に対する概念が違うのが一番だろう。アメリカでは家は移るもの。ステータスによって換えるべきものなのだ。
ふるさとは心の中にいつもある。両親も自分のルーツも、みんな語れる。それで充分というのがアメリカ人の理屈だ。
合理的と云えばそれまでだが、家族の安全と財産を守るのが第一優先という思いは変わらないはず。だとすれば日本が異常といえる。
お盆の帰省ラッシュもそうだ。あそこまで時間と労力を使って帰郷したいというのは動物的本能なのだろうか??文明の発達した国とは思えない光景だ。。。
悪いとは言わない。ただ、もっと「異常じゃねぇ?」という奴が出てきていいと思うのだ。

北海道の事故はお涙頂戴のドラマのような出来事だったが、それで終わらせて良いのか?雪の無い北海道はありえない。吹雪もかならずやってくる。吹雪の日に外出するなというのは簡単だが、今回の事故から分るように子供は学校があり親には仕事がある。じっとしていてもお金も未来も待ってはくれないのだ。

心を重視するはずの日本人。ふるさとは心の中にあるだけで良いのですよ と優しく説く人達が出てくることを強く望む。

ふるさとは遠きにありて思ふもの。そして悲しくうたふもの。。。

亡くなった方々の冥福を祈ります。合掌。